「聖徳太子」を「厩戸王(うまやどのおう)」と変更した文科省ですが、学校現場で混乱を招く恐れがあるとして、「聖徳太子」と呼び慣れた表記に戻す方向で次期学習指導要領改定案で修正することになってきました。聖徳太子の本名・呼び名・聖徳太子の仕事について調べてみました。


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「聖徳太子」本名の由来

画像3

引用 http://www.bell.jp/pancho/k_diary-2/2008_02_23.htm

西暦574年、称徳太子は用明天皇の第二子として、この世に生を受けました。当時の皇族は生まれた場所を名前にするのが一般的とされていました。「聖徳太子=厩戸王」の名の由来は3つの説があります。

飛鳥の地名

聖徳太子は飛鳥(明日香)の橘寺のあたりといわれていて、その近くに厩戸という地名があったとされる地名説。

厩で生まれた

厩

引用 http://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamakura/…

母の穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)が急に産気づき、厩で聖徳太子を出産したという伝説があります。この説はイエスの誕生に似ていて、当時景教として伝わっていたキリスト教異端派の影響を指摘されています。

馬子の屋敷で生まれた

聖徳太子は血縁的に蘇我氏と近いとされていて、蘇我馬子の屋敷で生まれたため、馬屋→厩と呼ばれるようになったという説もあります。
ただ、日本書紀は蘇我氏を倒した後の政権による編纂で、馬子を含む蘇我氏の名前が後代の蔑称に変えられているとの指摘もあります。となると、この説は成立しなさそうです。

諡とは?

とは、功績をあげた人物に人格を称賛するために、死後に贈られる名前のことです。聖徳太子という名前が文書に登場するのは、死後1世紀以上経ってからのことでした。
生前の聖徳太子自身は、自分が聖徳太子と呼ばれるようになるとは考えていなかったと思われます。

聖徳太子が別名で呼ばれ続けた理由

聖徳太子の時代は大王(天皇)家の力がまだ不十分で、実際には蘇我氏の協力を得てやっと政治が行えるという状態だったということが、今の研究ではわかっています。
しかし、古事記や日本書紀が編纂された天武天皇・持統天皇の時代は、天皇への権力集中が課題でした。さらに、蘇我氏は持統天皇の父が乙巳(いっし)の変で滅ぼした氏族でもあります。そこで、天皇家にとって都合がいいように、蘇我馬子や周辺の豪族の功績を聖徳太子の功績に書き換えたという説が有力です。
実際の聖徳太子も優秀な摂政だったようですが、次々と伝説が付け加わり、史実からかけ離れていくうちに別名が定着していたというわけです。


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聖徳太子の本名

歴史の教科書は本名を載せるのが基本です。別名を載せるのは、どうしても本名が記録に残っていないときです。
そういうわけで、今の教科書は別名の聖徳太子ではなく、本名の厩戸皇子で記述されています。とはいえ多くの場合、テストで「聖徳太子」と書いてもバツにはなりません。
天皇は即位前は本名、即位後は天皇の名前で呼ばれることになります。
像

引用 http://www.daianji.or.jp/03/0301.html

学生時代に覚えるのが大変だった方も多いと思いますが、たとえば、同一人物ですが、乙巳の変の中心人物は中大兄皇子、公地公民の土台を作ったのは天智天皇と説明されますよね。天皇の場合、即位前は本名、即位後は天皇としての名前で記述されます。
また、重祚(ちょうそ)した天皇は、対応する時期の名前で呼びます。
つまり一度目と二度目の天皇の座についたときは同じ人物でも名前が異なるということです。

聖徳太子の他の別名

史実を離れ、神格化というか仏として扱われてきた聖徳太子ですから、他にも功績を称える別名がたくさんあります。

上宮之厩戸豊聡耳命

10人の話を同時に聞いたという伝説によるものでしょう。

豊聡耳法大王

即位していないはずなのですが、それだけ伝説の印象が強かったのでしょう。

厩戸豊聡耳聖徳法王

臣下の話をよく聞いたという伝説に加え、十七条の憲法からの別名でしょうか。

東宮聖徳

東宮とは皇太子を意味します。

聖徳太子の仕事

聖徳太子は国際的緊張のなかで遣隋使を派遣するなどの業績があります。
中国の文化・制度を学び冠位十二階や十七条憲法を定めるなどの、天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を行いました。
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引用 https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E8%81%9…

また、厩戸王 (うまやどのおう)は仏教を取り入れて神道とともに厚く信仰して興隆につとめています。

聖徳太子 別名 教科書いつから復活? まとめ

子供の頃に習った人が突然、名前が違っていましたと言われても刷り込みを消し去ることはなかなか難しくてできません。中学時代の「聖徳太子」が消えることはありません。また、聖徳太子像を本尊としている寺も多く、聖徳太子像を所蔵している寺はかなりの数があります。そういう寺で「厩戸王」と本名で書かれているのは少し違和感が・・・。今後はその時のケースによって名前が「聖徳太子」「厩戸王」が歴史と信仰で区別して名前を使い分けていくのでしょう。教科書での名前の復帰は直ぐにでも為されると思います。教育現場の混乱は避けるべきことでしょうから・・・。


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