関脇高安の大関昇進が確定し、31日に正式伝達が行われる。審判部が大関昇進を諮る臨時理事会の招集を八角理事長(元横綱北勝海)に要請し了承された。高安が大関昇進後もしこ名は変えず本名高安で貫き通す。父親・母親の喜びと高安関の苦労と友への感謝を記事にしました。


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高安関父親が先代親方に深い感謝!

高安関のご両親も大関昇進に「よく頑張った」と我が子の偉業をたたえた。

フィリピン出身の母ビビリタさん(54)は幼少時代の関取を「明るくて甘えん坊」と小さかった頃の高安関を目を細めて振り返りました。

カードゲームが大好き!

中学まで野球少年。中1から塾にも通ったが成績が落ち始めて、中2で少人数制の塾へ見学に行った。

そこで衝撃の一言が塾の講師から告げられる。
「本人のやる気があれば挽回もできるけど、今からじゃ、遅い」と。

父親(栄二)さんは大の相撲好き。魂胆はかくしたまま。
「楽しくやってろ。塾にも行かなくていい」
と息子の高安に伝え、職人への進路も・・・。

“自由の身”となった高安は野球とカードゲームに没頭。
午後7時には帰宅してフィリピン人の母ビビリタさんと父が経営するエスニック料理店を手伝うのが日課となっていた。

「見るだけ」と父親が・・・

季節は夏になり、父は「見るだけ」と言って高安を車に乗せるやいなやアポもとらないで千葉県松戸市の鳴戸部屋へ向かった。

当時、1メートル80、120kgの高安に「いい体をしてるな」と親方の絶妙な落とし文句が始まる。

33cmある足のサイズを褒められ、体をベタベタ触られ、「いい筋肉だ」とさらに褒められて笑顔を見せる高安。

父はこのとき、高安に「将来相撲でどうにかなるかも、という気持ちが(高安に)芽生えてほしい」との思いがあったという。

親子の別れで子供を見守る父

年が明けた2月15日。
高安の実家に早朝から電話の音が鳴り響く、鳴戸親方からの電話だった。

「体一つで来てもらえればいいです」

と鳴門親方からの合格通知だった。

高安は部屋を訪れた。そして入門が許され、部屋の奥へ消えていく息子を見送った。

鳴門部屋から7回も逃走した高安関

ご両親が今だから笑い話で言えると披露したのは、12年前の日々。

高安関は2005年春、中学卒業と同時に鳴戸部屋に入門した。
師匠の先代鳴戸親方(元横綱隆の里)の下、稽古に励んだが、あまりにも厳しい世界に圧倒され、7回ほど部屋から逃げ帰った。

千葉県松戸市の部屋から自転車で土浦市の実家に帰って来たり、両親が車で部屋に送り返す道中、赤信号で停車した隙に飛び出したりしたこともあった。

それでも父・栄二さんは「一つのことをやり遂げろ」と心を鬼にして送り返したという。

先代親方が甘えっ子だった子どもを心の折れない強い人間につくってくれたと感謝する父親には、こんな隠された話があったのです。

父親にがんが見つかる・・・

2006年に栄二さんの腎臓がんが発覚。

高安関は入院先の病室を訪れ、「痛む所をずっとさすっていた」(ビビリタさん)という。

治療に専念するため両親は当時営んでいた飲食店を畳んだ。

以降、高安関は豹変し相撲に専心するようになります。


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しこ名は「高安」という一族の名前で

2010年秋場所後に十両昇進した時、当時の師匠・鳴戸親方(元横綱・隆の里)との会話で、父・栄二さんが「一族が高安のしこ名で相撲を取ってくれたらありがたいと言っています」と希望を伝えていた。

ルーツは大阪府八尾市高安地区。
本名「晃」の名付け親でもある祖父・清さんの思いが込められていた。

一族の思いを背負った男(高安)の15歳の体に背負わされた。

高安の男気に涙!!

今場所限りで引退する東幕下27枚目の大和富士(32=阿武松)に、高安が労いの花束を渡すシーンが目にとまった。

花道で大和富士の最後の一番を見届け、自ら用意した花束と今場所獲得した10本の懸賞金を手渡したのだ。
号泣する大和富士にもらい泣きする一幕もあったが。

初土俵が2場所違いで相撲教習所での生活が重なっていたことや、互いに猛稽古で知られる部屋の所属とあって、自然と意気投合。

「毎日といっていいほど会っているときもありました」(大和富士)

つらいとき、いやなとき、下積み時代の辛さを分かち合った仲間。

地元広島に戻って両親の面倒を見ながら建設関係の仕事に就く友人に、高安関は「頑張ってほしい」とエールを送った。

強くなった高安、角界から姿を消す仲間、強いから威張るわけでもなく、弱くてやめていく人間にも温かいこころを持っている高安関。

男気あるね! 高安関!

高安 大関昇進後もしこ名は高安!! まとめ

試練に耐えて大関まで上り詰めた大関高安。
父親・栄二さんと母親ビビリタさんは口をそろえて、「一番の願いはけがをしないこと」と。どこまでも親心でいっぱいでした。
大相撲は強ければいいの?というものでもない。微妙な日本人の感覚なのでしょうか。


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