平尾昌晃といえば、1958年、ミッキー・カーチス、山下敬二郎と「ロカビリー三人男」として「日劇ウエスタンカーニバル」等で爆発的な大人気を博し、「星は何でも知っている」「ミヨチャン」は2曲共に100万枚を売り上げる大ヒット。そんな平尾昌晃の家族構成などを調べました。


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平尾昌晃の音楽との繋がり

最近では紅白歌合戦で、年越しの「蛍の光」の指揮をする人としても有名でした。

平尾昌晃さんの血縁関係では、クラシックの作曲家・国立音楽大学教授の平尾貴四男氏は伯父にあたります。

平尾昌晃さんは小学3年生のとき、自宅に来ていた将校から貰ったジャズのLPを聴き衝撃を覚えたといいます。

茅ヶ崎市に住み、ジャズ教室に通い、当時、朝丘雪路、水谷良重、ペギー葉山さんらと知り合うことに。

1968年、29歳の頃、結核を患い健康保険岡谷塩嶺病院への長期間入院による療養を余儀なくされ、肋骨を6本取り除く大手術を受けています。

平尾昌晃さんは、この療養期間が作曲家としての活動の端緒となったことを話していました。

平尾昌晃のプロフィール

生年月日 1937年12月24日
年齢   78歳
出身   東京
高校   慶應義塾高校中退

1970年代に幅広いジャンルの曲を五木ひろしや小柳ルミ子、アグネス・チャンなどに提供している。

作詞家の山口洋子さんとのコンビは、1970年代ではゴールデン・コンビとで名を馳せました。

1971年、五木ひろし「よこはま・たそがれ」
    小柳ルミ子「わたしの城下町」
1972年、小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」で第3回日本歌謡大賞受賞。
1973年、五木ひろし「夜空」で第15回日本レコード大賞受賞。
畑中葉子とデュオを組み、「カナダからの手紙」「ヨーロッパでさよなら」等のヒットを出した。

ここではすべてを書き込むのは無理ですので代表作の一部分だけということにします。

いまだに平尾昌晃さんのCDは売れ続けているといいます。

平尾昌晃の家族構成がヤバイ!!

最初に結婚されたのが、1972年といいますから、オイルショックの前の年ということになります。

お相手とされていたのが当時、女子大生。

そのとき、平尾昌晃さんは34歳ということですから、とんでもないくらいの(少女誘拐事件)みたいなものですよ(笑い)。

若くて綺麗な女子大生を嫁にしながら、子供さんが出来た後に離婚をされています。

平尾昌晃さんの再婚の相手は?

その後、1978年に再婚されますが、その時の相手は歌手の小沢深雪さんでした。

また、年齢差のことになりますが、小沢深雪さんとの年齢差は21歳。

2人の間には2人の男の子に恵まれます。

ですので、平尾昌晃さん家族構成は子供は合計3人ということになります。

それなのに、平尾昌晃さんは小沢深雪さんとも結果的には離婚することになります。

その後、再婚されたという話も聞かないので、今現在は独身ということですね。


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平尾昌晃の家族構成でヤバイのは息子

それは、2度目の結婚の妻、小沢深雪さんとの間に出来た2人の息子の下の息子が完全にイカレタチャラオと呼び声が高いと評判。

3番目の息子さんは、歌手やタレント活動されていて、バラエティ番組にもときどき出演されていたことがあります。

平尾勇気さん。

ただ、めちゃくちゃチャラいんです。

平尾昌晃さんの息子さんということで、甘やかされて苦労されてないんでしょうね。

また、逆にこのチャラさが2世タレントぽくなくていいという人も・・・。

平尾昌晃さん以前にも肺炎で

最近は、一時期よりはテレビで見かけることが少なくなった平尾昌晃さん。

その原因は体調にありました。もともと子どもの頃に肺結核にかかり、肋骨6本もなくすような手術をしていました。

そのこともあり体調はどちらかと言えば、そんなに丈夫とは言えませんでした。

2015年の話になりますが、肺炎で緊急入院されたことがあります。

このときはも、危険な状態だったみたいです。
なんとか、乗り越えたという感じでした。

このようなこともあり、最近は何度もいいますが、紅白の指揮者のときぐらいしか目にしていませんでした。

そうはいいましても、ときどき、見かけるのが審査員としての平尾昌晃さんでした。

ものまねや歌の審査員で平尾昌晃さんを欠かすかんてことは出来ません。

「全日本歌唱力選手権 歌唱王」でも審査員をされてます。

平尾昌晃の家族構成がヤバイ!! まとめ

「ロカビリー三人男」でその年代を一世風靡したとはまさにこの3人のためにある言葉です。
平尾昌晃さんの家族構成の記事を書いていて、意外と男女間の縺れなどはありませんでした。
昔の人ですから、きちんと別れたということでしょうね。


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