村上茉愛と白井健三の二人揃って金メダルって凄いって・・・。村上茉愛さんは種目別の床で金メダル。白井健三さんは余裕の床と自信を付けた跳馬で金メダル。女子の体操では村上茉愛さんの金メダルは63年ぶりと・・・。村上茉愛さん白井健三さんの63年前の金メダリストはどんな人。


スポンサードリンク




村上茉愛と白井健三と女子の体操復活?

村上茉愛さん女子で63年ぶり、白井健三2冠

体操の世界選手権が8日幕を閉じました。

女子の床運動で村上茉愛(日体大)さんが14.233点をマークし、
追随する選手を最後まで退けて、日本勢初の金メダルに輝きました。

どうしても、村上茉愛さん金メダルに目がいってしまいます。

<村上茉愛の話>

「(金メダルは)成長の証。人生の中で一番いい演技だった。女子がいつもメダルを取れていなかったので、(金メダルを)63年ぶりに取れたのが私で良かった」



この村上茉愛さんのコメントでもわかるように、
日本女子の体操はメダルには遠く及ばず、
いつも日陰の道ばかりで

「いつかメダルを・・・」

と村上茉愛さんは心に秘めていたのでしょう。

また、男子の白井健三さんも総合で3位、
種目別では得意の床と跳馬で金メダルと
大活躍をしました。

男子体操界の主役が内村航平選手(28)から
白井健三選手(21)にスライドの始まりを
感じる今度の大会でした。

<白井健三の話>

「冷静に取れた金メダル。最後まで自分の演技が出し切れたことが一番うれしい。この結果が全てオールラウンダーへの道につながっている」



こんな感じで村上茉愛さんと白井健三選手は、
金メダル受賞後にコメントしていました。

そこで、村上茉愛さんの63年ぶりの金メダル?
というフレーズが気になりました。

村上茉愛さんの前に(63年前)金メダルをとった日本人?


スポンサードリンク




村上茉愛さん白井健三選手の大先輩・池田敬子(旧制 田中)

現在も体操指導などで忙しく、毎日を過ごしている、池田敬子さん(83歳)。

1933年、三原市沖に浮かぶ佐木島(三原市鷺浦町)で塩田を営む田中家の長女として生まれます。

幼いころから山や川で遊ぶ元気な子供でした。

三原高校で本格的に体操を始め、1952年、日本体育大学に女子一期生として入学します。

1954年、大学2年19歳の時、日本の女子体操競技初のローマ世界体操競技選手権に出場。

華やかで美しいジャンプとターンを平均台演技し、
世界の体操ファンを魅了し、当時は「ローマの恋人」
と呼ばれたというから凄い人。

今回の村上茉愛さんの「床」とは違いましたが
日本人初の金メダルを胸に掲げることに。

その後の活躍もすばらしく、日本の女子のリーダー
として活躍していきます

村上茉愛さんや白井健三選手が在籍する
日体大に教員として残ります。

1956年メルボルンオリンピック大会でゆか4位、団体6位

1958年モスクワ世界選手権、ゆかで銅メダル

1960年ローマオリンピックで個人総合6位、段違い平行棒・平均台5位、団体4位。

1962年プラハ世界選手権、平均台銅メダル。

1964年東京オリンピックの前年、29歳で出産。

このころの体操協会のエピソードをひとつだけ。

田中敬子という名前から結婚して池田敬子に名前が変わります。

それがちょうど、東京オリンピックの3年前?

結婚して子供が生まれて、

「おめでとう」

の言葉もなく、

「体操選手が出産とは何事か」

と怒鳴られたといいます。

当時は、まだまだ古い体質がたくさんあり、
戦争に負けた精神的な残骸みたいなものが残っていたのでしょう。

「なにくそ!」

と池田敬子さんは反撥し、合宿で浴衣を裂いてオムツを作り、
川で洗濯したり育児をしながら練習したといいます。

1966年ドルトムント世界選手権で個人総合3位銅メダル、平行棒で銀。

この間、全日本選手権個人総合で5連覇を含む優勝10回。

村上茉愛と白井健三と金メダル!! まとめ

村上茉愛さんと白井健三さんと池田敬子さんとを繋いでみました。

池田敬子さん83歳に今回の村上茉愛さんと白井健三さんの朗報は届いたことでしょう。

体操日本の根っこを支えてきた池田敬子さん、63年前の体操選手でした。


スポンサードリンク