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2018年の五月場所は左上腕三角筋部分断裂により初日から全休場となった高安関が名古屋場所9勝6敗、秋場所11勝4敗と少し調子を取り戻してきた。2018年最後の九州場所では現在2敗と新鋭の貴景勝と優勝争いに後半、九州場所を沸かせている。そんな高安関の母親や出身中学、家族や兄弟、幼なじみの有名人など追跡してみました。

引用:http://gensun.org/pid/2240622

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高安関の生まれは茨城県土浦市

高安関がまだ学校に通っていたころの実家は、茨城県内にエスニック料理店を複数展開していたという。現在は両親とも高齢になり閉店しているという。


高安関の両親は、父が日本人、母がフィリピン人という家庭で、エスニック店を経営ということからも頷けますね。


高安関が通った学校は土浦第一中学校で、高安関は野球部に所属していたという。小学4年から野球のリトルリーグで活躍していたこともあり、中学の3年間は野球部で過ごすことに。


このころの高安関は、高校に進学しても野球部に入部して、捕手として・・・と考えていたという高安関。

中学3年生で大きな問題が?

高校に問題なく進学できると軽く考えていた高安関に問題が出てきました。
実は中学時代の高安関は、通知表の成績があまり良くなかったようで、合格点は体育だけが4か5という評価で、残りは「うっ」となるような成績でした。


そこで、困り果てた両親が中学2年生のときに、”焼け石に水”とでもいいましょうか、近くの個別指導塾へ通わせようとしたのですが、


そこで塾の先生曰く、
「高安君は、もう手遅れです」
と、一刀両断、入会を断られてしまうことに。


安易に考えていた高校進学が難しくなり、途方に暮れていた家族に中学の担任の先生が思いもよらぬことを・・・、

「角界という道もある」

と高安関の運動神経のよさと、身体や足の大きさなどから判断して、相撲界という道を開いてくれたのです。


この中学の担任の先生の裏付けとなる話が、入門時に師匠の鳴門親方も絶賛しました。
身長180cm、体重120kg、足の大きさ33cmという恵まれた体格。
師匠の鳴戸親方は「ゴムマリのようだ」と評され、将来を嘱望されることに。

高安関の父親の職業は?

高安関の父親の名前は、高安栄二さん。
年齢は今年(2018年)で67歳になります。


父親の栄二さんは茨城県内で複数のエスニック料理店を営み、毎日が忙しい日々が続いていました。
そんな高安関の父親に2006年ごろに病魔に襲われます。
(腎臓がん)という恐ろしい病です。
なんとか片方の腎臓を摘出することで生命の危険は脱することができました。


ところが、体力的に消耗するエスニック店の運営は厳しくなって、仕事が思うようにできなくなってしまいました。


そこで、現在は、最後まで残していた土浦市内の店も現在は閉店することにきめました。


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相撲界だけは・・・拒絶した高安関

高安関誕生のすべての話が最初からスムーズに運んだわけではありません。
中学3年生のときに担任の先生から「角界入り」を勧められた高安関でしたが、

「相撲は絶対嫌だ」

と、当初は拒み続けたといいます。

高安

引用:http://osumou-rikishi.com/takayasu-hair-2495

そんな高安関をなんとか将来のためになると考えた父親は、
「見るだけだ」
と安心感を与えて、鳴戸親方との約束もなしに相撲部屋を訪れます。
紹介された鳴戸親方に何度も何度も「いい体だ。筋肉がゴムのように伸びる。手足も大きい。」と将来の太鼓判を押されて高安関も多少その気になったのか入門することになりました。


そして、先代の鳴門親方に見出された高安関でしたが、慣れない兄弟子たちとの人間関係に悩み、何度も部屋を脱走する始末。
その数は、7回とも10回とも言われてます。


そのたびに高安関を説得して、部屋に連れ戻した父・栄二さん。
どんなに自分の心の中で、
「戻りたくなかったら家で働け・・・」
と、喉の直ぐち近くまで出かかったことでしょう。


まだ中学を出たばかりの息子を嫌だという場所に連れ戻す親の心は・・・。
並々ならぬ辛い思いをされたことでしょう。


そして、高安関が大関昇進を決めた際には、
「ここまで来るのは大変だったろう」と・・・。
父親として言葉にはならなかったでしょう。


ここまで来たのだから、最後の最後まで相撲道を突き詰めてもらいたいとおもっているでしょうね高安関の父親・とてもうれしい。もっと精進して夢をかなえてほしいと父・栄二さんは祈っているでしょう。

高安関の母親はフィリピン出身

高安関のお母さんの名前は、ビビリタさん。
年齢は今年(2018年)で55歳という知的なお母さんですね。
お父さんより12歳もしたという美人のお母さん。


名前からも分かるとおり、母・ビビリタさんはフィリピンの出身。
フィリピン女性の芯の強さなのか、ビビリタさんは「肝っ玉母さん」で名が通っています。

高安

引用:https://matome.naver.jp/odai/2138683281297695201

そんな高安関の母親には驚くエピソードがあります。
それは、エジプト出身の大砂嵐関(現在・格闘家)が、顔面を狙ったプロレス技のエルボーのような“かち上げ”で猛威をふるった時期がありました。


高安関がこの大砂嵐の“かち上げ”を1発食らうと、翌日の場所入りで大砂嵐関を見つけるや否や大砂嵐に向かって、

「だめよ、あんなことしちゃ。もっと正々堂々と戦いなさい!」

と叱ったといいます。


ちなみに、ビビリタさんの誕生日は、9月16日。
秋場所ですから、東京両国国技館ですね。
高安関は母親の誕生日には負けたことがなく懸賞金は、お母さんにプレゼントしています。

秋元才加も兄もいる?

高安関にはお兄さんがいて、名前は洋幸さん。
兄・洋幸さんは、高安関に似て、タテもヨコも立派な体格をされています。
高安

引用:https://ameblo.jp/banzai21/entry-10976325175.html

また、元AKB48で女優の秋元才加さんとは、幼なじみで兄弟のような仲で、小さいときからよくケンカしていたのを覚えているといいます。
二人の関係は、母親同士がフィリピン出身ということで、お互い異国の日本で子育てしながら助け合ってきたというわけです。


ことあるごとに、高安関は「秋元才加さんと結婚は?」と報道陣に聞かれて、ただニッコリ笑っているやさしい大関・高安関がいました。

高安関の母親や出身中学、家族や兄弟・・・まとめ

高安関が何度も相撲部屋を脱走した時、父・栄二さんは高安関を部屋に連れ戻し、集まった師匠や兄弟子たちの前で床に両手をついて詫びたといいます。

「何とかもう一度、息子を部屋に置いてください!」

自分のために土下座する父親の気持ちに高安関はショック受けて、この時を期に今の大関・高安関が誕生したといってます。

そして、その時初めて、師匠、女将さん、そして家族に支えられていることを悟った瞬間だったと高安関。

以降は、相撲に専念して現在、押しも押されぬ大関まで上り詰めました。
これからも高安関への応援は怠りません。



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