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安田純平さんが拘束されたのは今回で何度目だったのか?世間からは自業自得の声が多い中、嫁myuの悲痛な叫びもただただお詫びの言葉から始まることになりました。そんなジャーナリスト安田純平さんの家族(父・母・兄弟)、そして安田純平さんの嫁に関する情報をまとめました。

安田純平 家族


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安田純平のプロフィール

名前   安田純平(やすだ じゅんぺい)
生年月日 1974年3月16日
国籍   日本
出身地  埼玉県入間市
出身高校 埼玉県立川越高等学校
最終学歴 一橋大学社会学部(湊博昭ゼミ)
職業   フリージャーナリスト
特技   少林寺拳法二段
嫁    myu


経歴
1997年3月  一橋大学社会学部卒業
1997年4月  信濃毎日新聞入社。松本本社配属
2003年1月  信濃毎日新聞社を退社
       その後はフリージャーナリストとして活動
2009年に歌手のmyuと結婚します。

安田純平さんの家族(父・母)

安田純平さんのご両親は心配で心が休まる日が無いことでしょう。
現在、安田純平さんの父親は78歳という高齢者です。
母親も74歳という父親と違わずに高齢者といっていいでしょう。


父親のお名前は安田英昭さん、母親は安田幸子さんです。
今回の拘束事件以前に、2004年4月に安田純平さんがイラク軍に拘束され、その後、解放された時に父親のコメントがあります。


当時の父親の年齢は64歳、母親60歳という60代の年齢でした。
この時、家族としての喜びを次のように話していました。
「何ともいえない気持ちです。こんなにうれしいことはありません。こういう答えが来ると信じていました。女房はテレビを見ながら、感極まって泣いています」
と・・・。

安田純平さんの兄弟

シリアで拘束されている安田純平さんが送信してきた中で、兄弟に対して次のようにコメントしています。
「愛している。いつもあなたたちのことを思っている。話したいが、もうできない」と・・・。


安田純平さんには兄弟がいるようですが、詳しく名前とかで呼びかけてはいませんので、兄弟に関する詳しい情報は現在ありません。


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安田純平さんの嫁・myuについて

3年前からシリアの武装組織に拘束されてしまったフリージャーナリスト・安田純平さんの妻が8月7日安田純平さん無事の帰国を願って記者会見を開きました。
「状況が切迫しているのではないか?」
「取材に行くときはすべての責任は自分にあるという信念と覚悟で常にいた」
「何かトラブルや危険があっても自分で解決して帰ってこようと今も頑張っているのだと思います」


安田純平さんの嫁はさらに続けて
「外務省の方も日本政府の方も、『とにかく頑張っている』と言っていた」としたうえで、犯人に対しては「どうか主人のことを一日でも早く、無事な状態で帰してほしい」と涙ながらに訴えました。


拘束したシリアの武装組織からのビデオの内容からも痛々しいほどに苦境に置かれている様子がわかります。
嫁であるmyuさんの目からは、自然と涙で訴えるしか方法はなかったのかもしれませんね。

安田純平の嫁・myuとの出会いは?

尾崎亜美完全プロデュースの1stシングル『The World Is All Changing』でデビューすることになります。
そしてすぐにこの曲がTBS系テレビ番組『チュ―ボーですよ』のエンディング・ソングに起用されて、番組と曲とのマッチングがとてもよくてお茶の間で人気になっていきます。趣味は人間観察というだけあってファンの心に伝わった感がありますね。


ヒーリングシンガーとして仕事も順調にこなして活躍していたmyuさんは、2009年、ジャーナリスト繋がりで安田純平さんと出会って結婚することになります。


そして、2015年のシリア拘束の一報が騒がれた当時には、安田純平の妻として「夫・安田純平が無事帰国するまでは、絶対に涙は流しません。」とコメントし、話題になっていました。


さらに、妻として「危険地報道を考えるジャーナリストの会」に参加し、安田純平さんをはじめとするジャーナリストの救出活動を政府に嘆願するなど、安田純平さんのために活動をしています。


現在は、夫である安田純平さんの両親とともにジャーナリストの会に参加し、シリアに拘束された安田純平さんの解放に力を注ぎながら、ヒーリングシンガーをはじめ、MCや女優などの仕事をこなして家族で無事を祈っているといった状況です。

安田純平さんは何回拘束されているのか?

はっきり言って安田純平さんがシリアでヌスラ戦線に拘束されているという情報が入ってますが、拘束されるのは今回で4回目になります。

安田純平さん1回目の拘束

2003年2月中旬からイラクを取材。
一時出国するも開戦直後に偽造「人間の盾」ビザで再入国しています。
その時は、ホテルに泊まって勝手に取材するつもりがイラク軍に拘束され、観念してバグダッド南部のドーラ浄水場に入る。

安田純平さん2回目の拘束

2003年、その後もイラク警察などに数回拘束されるが、あのフセイン政権崩壊後まで滞在し、中部ナジャフなどを重点的に取材して帰国しています。

安田純平さん3回目の拘束

2004年の4月14日、バグダッド西方アブグレイブで地元住民の自警団にスパイ容疑で拘束されてしまいましたが、同17日に無事解放されています。

安田純平さん4回目の拘束

内戦下のシリアで2015年6月、ジャーナリストの安田純平さんが行方不明になります。
その後、安田純平さんを拘束していると主張する犯行グループが・・・。
そして日本政府と接触を試みたとする犯行グループが安田純平さんの映像を公開し、日本政府に交渉に応じるよう要求してきました。


ジャーナリストの安田純平さんがシリアで消息を絶ってからもう3年が経過しています。
邦人の誘拐・拘束期間としては、2001年にコロンビアで人質となった矢崎総業現地副社長の2年9ヶ月を超え、過去40年で最長となっています。
安田純平さんの無事を祈るだけしか方法論がないのが残念です。

安田純平 家族と嫁は辛い毎日が・・・まとめ

世界・社会の現実を直視して、報道に携わる人間の信念が安田純平さんを駆り立てたのはよくわかります。
なんとか無事に帰国して欲しいものですが。
ご家族の気持ちと一緒に早く嫁さんとも再会してほしいものです。



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