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宮川大輔の嫁も子どもも両親もすべてが宮川大輔に集中する。13年目の結婚式で授かった子供。今や押しも押さねぬ「よしもと」に所属する人気芸人・宮川大輔さん。今日は、そんな宮川大輔さんを取り巻く嫁や子供や両親のヤバイ話題を満載にご紹介します。


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宮川大輔プロフィール


名前   宮川大輔(みやがわ・だいすけ)
生年月日 1972年9月16日
身長   172cm
血液型  B型

宮川大輔さんの実家の家業は?

宮川大輔さんの出身地は京都市ということです。
どちらかと言えばお笑い系には大阪が主流のようですが、京都市ということでどことなく京都という感覚は時折頷ける場面がありますね。


宮川大輔さんの祖父の芳太郎さんは金沢出身の人でしたが、京都へ出て丁稚奉公として小物屋で働き、大変苦労された方だったといいます。
28歳で独立し、京都市の中心部・烏丸通沿いで小物店を経営していました。


商売では、当時珍しかったナイロンなどの新素材を積極的に取り扱い、大成功を収めていました。
ところが、好事魔多しで祖父・芳太郎さんが59歳の時に脳卒中で倒れてしまいます。


其の後、祖父は亡くなりってしまうことに。
そこで、急遽祖父に代わり、宮川大輔さんの父親が店を継ぐことになります。

宮川大輔さんの父親の職業は?

宮川大輔さんの父親の名前は、宮川雅次さん。
1944年生まれなので、現在(2018年)で74歳になります。


先代が起こした店を継いだ雅次さんでしたが、1973年、従業員の焚き火が原因で大火事に見舞われます。


それなりに拡大していた店舗も従業員も失ってしまいましたが、父・雅次さんは焼け残った商品を縁日で売り歩き、再起を図ることになりました。
また、多角化を狙って喫茶店もオープン。


しかし、二足の草鞋の商売は上手くいかず、雅次さんは店舗・商売を辞めることを決断します。


そして、宮川大輔一家は自宅を売り払い、郊外に転居することを決断します。
このとき宮川大輔さんは小学校2年の頃で、滋賀県大津市に移っていることではっきりとわかります。


さらに今度は、父・雅次さんは借金返済のため、MKタクシーの運転手に転身しました。


そして無事故の優良運転で個人タクシーに転じると、『大輔宮川のすべらない話を掘り起こす旅』などで子ども・宮川大輔と共演を果たすなどして明るい顔をのぞかせています。

父と母の馴れ初めは?

宮川大輔さんの母親の名前は、逸子さんという明るいお母さんです。
結婚前は長岡逸子さんと言う名前で、祖父・芳太郎さんの店で働いていました。


宮川大輔さんのご両親の馴れ初めには、亡くなった祖父の想いが込められていたといいます。


祖父のお店で働いていたという宮川大輔さんの母親・逸子さん。
芳太郎さんの具合が悪い時、逸子さんは親身に対応していました。
その優しい姿に雅次さんが魅了されていることに、祖父の芳太郎さんは気付きます。


そこで、祖父・芳太郎さんは雅次さんに、
“長岡(逸子さん)と3人でドライブに行きたい”


と話し、3人で出掛けることに。


次第に打ち解けて話すようになった2人を見て祖父の芳太郎さんは、その日の晩、容態を悪くし、翌日息を引き取りました。


宮川大輔さんの父親と母親の仲を取り持ったのは祖父の芳太郎さんの最後の仕事だったようです。


決め手となったのは、雅次さんは「父が気に入ってくれた」と感じ、その2年後に結婚することを決意したのでした。


また、母方の先祖には永瀬源七さんという鋳物職人がいます。
永瀬源七さんは今から約150年前、神田明神にある鋳物の桶を製作した人物です。これはNHKのファミリーヒストリーでも紹介されています。


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宮川大輔さんのお嫁さんは“マーコ”

宮川大輔さんは1997年、25歳で結婚しています。
現代の結婚年齢より随分若い結婚ですね。
お嫁さんの名前は真木子さん。


テレビでは『マーコ』という呼び名で、宮川大輔さんのエピソードの証言人として度々登場しています。


宮川大輔さんはお嫁さんと結婚した時は、仕事もなく収入もない状態という、よくある売れない芸人の始まりです。


それでもマーコさんは、当時を振り返って売れる・売れないは全く考えてなくて、なんとかなるやろうと考えていたといいます。


収入面では、完全にお嫁さんに支えられていた宮川大輔さん。


たまに酔っぱらって、
“どうしたらええねや”
と悩んでいた宮川大輔さんがいたそうです。


やがて、少しずつテレビに出られるようになって、生活も少しずつ明るくなって、徐々に食べていけるようになった宮川大輔さん。


これまで苦労をかけたお嫁さんには、それまでの感謝の意味を込めて、2人で年2回は海外旅行に行くようになったといいます。

結婚13年目の花嫁を大切に!

宮川大輔さんは、ずっと男として気になっていることがありました。
それは結婚当時、金銭的理由で嫁さんに結婚式を挙げれなかったことだといいます。


お嫁さんにドレスを着せることも式場に両家の両親も呼ぶことも出来ず、たくさんたくさん心配をかけてきたことでした。


そこで、宮川大輔さんは両家の家族を招待して、ハワイでの結婚式を計画します。
家族をハワイ旅行へ招待しましたが、もちろん結婚式のことは当日まで内緒にしていました。


式の前日に買い物に行って、
“明日、今日買ったアロハシャツ着て集合な”
で解散。


宮川大輔さん両親はそれなりにピンときていましたが、それでも本当にチャペルで結婚式やるとは思っておらす、びっくりしながら喜んでくれたそうです。


そして、両家の家族みんなで、結婚式当日はチャペルで
“こんなに泣けるか?”
というくらいもらい泣きになったといいます。


結婚13年目の挙式ですから、それまでの色んな気持ちが溢れ、涙、涙の結婚式となりました。

子供の名前や年齢は?

宮川大輔さんには子供が1人いて、名前は「健太」くん。
2010年12月2日生まれなので、現在(2018年)で8歳になります。


結婚して13年間も宮川大輔さんと嫁のマーコさんの間には、子供がいませんでした。
結婚当初は収入がない状態が続いて、子供のことなど考える余裕もなかったのでしょう。


ところが、徐々に経済的にも余裕ができて、結婚式をしようと考えるようになり、
“子どもが欲しいな…”
という気持ちが芽生えてきた宮川大輔さん。


お嫁さんの”マーコ”さんも、子供を作るための身体作りを始めました。
すると、結婚式をやった後すぐに、お嫁さんから「妊娠した」と告げられます。


このときのことをはっきりと今でも覚えている宮川大輔さんは、
“神様って本当にいるんだなぁ”
と実感したと言ってました。

宮川大輔の子供も芸人に?

宮川大輔さんは父・雅次さんから
“思い立ったら行動できる人間になれ”
と教育されてきたといいます。


そして自分が親になって、子供に対しても同じ気持ちを持つようになったといってます。
もし子供が「芸人になりたい」と言って来たら、宮川大輔さんは「賛成する」と言い切ります。


“本人が本気で言うなら、自分の力でやってみたらいい”


ただ、そう言っても芸人は難しい世界ですからね(笑い)
実際、パパみたいになりたいと言われたら…嬉しいですけどね。
嫁は嫌でしょうね。
「お前もかい!」って言うのが想像できますよ(笑)
と続けているので、気持ちは複雑なのでしょうね。


芸人になるにも、また別の世界で生きるのも、よき伴侶がいてのことだと思いますからね。

宮川大輔のすべらない話


宮川大輔の嫁や子供や両親! まとめ

宮川大輔さんが売れない時代は、経済的にも精神的にも支えてくれた嫁・マーコさん。
ところがこのことを嫁・マーコさんは苦労したとは思っていないといいます。


“生まれ変わっても選んでもらえるなら一緒にやりたい”


と、宮川大輔さんへの思いを愛情いっぱいに表現しています。
これからも宮川大輔さんはこの素晴らしい家族の応援をパワーに変えて仕事に挑戦していくでしょうね。


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