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1991年秋のドラフトでオリックスに4位指名されて、プロ野球に入ることに。イチロー選手の非凡な才能は、プロ野球関係者の間で触手はどこの球団も伸ばしていたという。特にオリックスのスカウト故・三輪田勝利氏の目はイチロー選手に一点集中でした。今でも「恩人」と呼び墓前に花を捧げる人とは?



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イチロー選手をオリックスにスカウトした人

イチロー選手の野球センスは、中日の監督・星野仙一氏も認めていたという。
ただ、あまりに華奢な体型にプロで通用しないのではないかと、星野仙一氏はドラフトでの指名を避けたといいます。


ところが、このちょっと細く見えるイチロー選手にぞっこんのスカウトマンが、オリックスの三輪田勝利氏だった。


今でもイチロー選手は、三輪田勝利氏を「恩人」と呼び、メジャーリーグのオフシーズンに帰国したときは、墓前に手を合わせることを欠かさないという。
ここにもイチロー選手の義理堅い人間性が感じられます。


では、そのイチロー選手をスカウトした恩人はどんなひとだったのか記事に。

オリックス・スカウト三輪田勝利とは?

三輪田勝利(みわたかつとし)
1945年7月11日生プロ野球スカウトマン
1998年11月27日死去(享年53)

イチロー オリックス

引用:https://www.sankei.com/premium/photos/160626/prm16…

 
イチロー選手と同じ愛知県出身。
当時の愛知県の中京商業高等学校と言えば野球の名門校だった。
夏の甲子園大会では主戦投手として3回戦まで進んでいます。


高校卒業後は早稲田大学に進学し、東京六大学リーグでは在学中に3度の優勝をするなど大学野球を謳歌した。


1967年のドラフト会議にて近鉄バファローズに1位指名されるも拒否し、大昭和製紙に入社します。そして2年後の1969年にドラフト1位指名にて阪急ブレーブスに入団。
1970年にはプロ初勝利を挙げ、防御率2.48の成績を記録してます。


1973年に現役引退を発表。
プロ野球選手としては短命だったようにも思えますが、六大学・社会人と野球人生は楽しかったのではと思います。

阪急監督上田利治氏から「誠意のかたまり」

現役引退後、阪急ブレーブスの監督だった上田利治氏から「誠意のかたまり」と評され、スカウトへ転身することに。


三輪田勝利氏の人柄の良さは阪急関係者の他に他球団の球界関係者にも認められていました。


1991年には、イチロー(愛知工業大学名電高等学校)を発掘することに。
1997年には編成部長に就任した。


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1998年のドラフト会議で事件が・・・

オリックス・ブルーウェーブは新垣渚(沖縄県立沖縄水産高等学校)を1位指名します。
ところが、よくある重複が福岡ダイエーホークスと。


抽選で交渉権を獲得するのですが、新垣渚は「ダイエー以外だったら(九州共立大学へ)進学する」と、オリックスへの入団を拒否することに。


三輪田勝利氏は困り果てて、新垣宅へ説得に・・・。
面会を断られ、オリックス球団との板挟みで責任感の強かった三輪田さんは、完全に精神を病んでいた。

イチロー、オリックス

引用:https://blogs.yahoo.co.jp/kei0211tomi/34787291.htm…

 
そして、一人で責任を取るかのように、1998年11月27日に那覇市内で投身自殺という最悪の道を選んでしまった。
現在で言えば、過労死だったのでしょう。精神的にここまで追い込まれていたんですね。その後の警察からは自殺と断定され、1999年に労働災害が認められました。

オリックス社長、世間から非難受ける

当時のオリックス球団側の社長だった井箟重慶社長は、三輪田氏の自殺について心無い発言で物議を醸しだし非難を浴びました。
「球団に責任があったとは思っていない」


そして、三輪田スカウトを門前払いした新垣本人や新垣渚の家族、学校関係者にも批判が続出した。
「三輪田の死の責任は新垣にある」
との野次が試合では相次いだ。


今度は、新垣渚が責任を感じるようになり、「(野球を辞めるべきか)悩んだ」という。


そんな新垣渚が悩んでいるときに、三輪田夫人から「(三輪田の死は)あなた(新垣)のせいではない。これからも頑張って」と激励されたという。


新垣渚は後年のインタビューで、「自分が活躍することが最初に評価してくれた三輪田さんへの恩返し」と、三輪田夫人に感謝を込めるかのように話しています。

イチロー選手と三輪田勝利スカウトの関係は

イチロー選手は、三輪田勝利氏の誠意・説得もありオリックス入団を素直に決めました。
生前、両者は上下関係を弁えた上で互いの家族を交えたプライベートの交流もあったそうです。


そんなお互いの関係が続いているときに、三輪田勝利氏の自殺を知ったイチローは人目も憚らず号泣し、告別式では三輪田の棺に自身愛用のバットを納め哀悼したという。

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イチロー オリックスがドラフト4位で指名!まとめ

三輪田勝利スカウトの「誠意のかたまり」という人柄が、自分ばかりを攻め立てたのでしょうね。


新垣渚選手も人生の中で悩んで苦しんだのでしょうね。
救いは、三輪田夫人の手紙でしょうね。


イチロー選手のオリックススカウト三輪田勝利氏の関係が今も墓前で続いていることに「誠意」という言葉で繋がっているように感じました。


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