渡邊雄太選手にチャンスは急に訪れた。グリズリーズのベンチに呼ばれた。4Q残り4分31秒コートに立った。リバウンドを2本奪取し、フリースロー2本決め、得点も決めた。NBA渡邊雄太選手の誕生だった。そんな渡邊雄太 選手の幼稚園・高校時代・大学時代を紹介します。
渡邊雄太プロフィール
名前 渡邊雄太(わたなべゆうた)
生年月日 1994年10月13日
身長体重 203cm・93kg
血液型 A型
出身地 香川県
競技歴 三木ミニバス→牟礼中→尽誠学園高→セント・トーマス・モア・スクール→ジョージワシントン大
渡邊雄太選手の幼稚園のころは?
渡邊雄太選手の母親(久美さん)は、元シャンソン実業団でプレーした名選手でした。
渡邊雄太選手の一家は、渡邊雄太選手が幼稚園に入学する前に引っ越して三木という地域に居を構えることになります。
そこで、地元のミニバスチームの指導を依頼されることになりました。
まだ幼稚園児だった渡邊雄太選手は、母親と週3回一緒に体育館に足を運ぶことになっていきます。
そして、渡邊雄太選手が小学校入学を機に今まで母親の横で遊んでいた渡邊雄太選手は母親が指導するミニバスチームに入団することになります。
この当時のことを渡邊雄太選手は、
「コーチとしての母は怖かったですね」
「でも家に帰れば優しい母でした」
と、ちゃんとフォローも忘れていません。
また、ミニバス時代は、父親(英幸さん)と毎日一緒に、近所に住む友達と朝6時から7時まで近くの小学校で自主練習。
その頃のことを父親の英幸さんは、
「ドリブルが大事だと思っていましたから、その練習をやっていました。」
「雄太は左利きなので、右手でドリブルする回数を増やすようにしましたね」
と・・・。
このころの練習が今の渡邊雄太選手のオールラウンドプレーヤーに繋がっていたのですね。
小さい頃に良き指導者に巡り合えるということは、その人の人生のチャンスと言えますね。
親子だからできた指導なのかも知れませんけどね。
この記事を読んでいるあなたにもスポーツだけでなく、素晴らしいスキルがあれば指導者になってみてはいかがですか?
周りの人に喜んでもらえますよ。
2歳からランニング?
渡邊雄太選手の父親は元バスケットボールの選手(英幸さん)、身長191cm&母親(久美さん)177cm。
「家の天井は高い方がいいよね」
「ダイワハウスのCMに使ってほしい」
正に、バスケ界のサラブレッド”申し子”だったのです。
まだ2歳の頃にこんなエピソードが・・・と話してくれたのは父・英幸さん。
トレーニングの一環としてランニングを行っていたとき、幼い幼稚園児の渡邊雄太選手は途中で”止めよう”などとは一度も言わなかったし、立ち止まることともしなかった言います。
そして渡邊雄太選手は、どちらかと言えば短距離よりも長距離が得意だったとも。
そしてミニバスを始めた小学1年生のときには、ランニングメニューで6年生を抜いてしまったというエピソードもありました。
小学5年生から高校時代まで成長痛に苦しむ
小学5年生から高校1年生まで、成長痛に悩まされたという渡邊雄太選手。
その痛みを父親の英幸さんも経験者だった。
毎年、身長が10センチも伸びていくのですから、膝が痛むのも当然。
バスケでジャンプシュートだと着地のときに激痛が・・・。
そのためジャンプシュートではなく、足を地面に付けて打つセットシュートを多く練習に取り入れるようにしたという父親の英幸さん。
素早くきちんとしたフォームで、きれいなアーチを描くように練習してきたことが、今の渡邊雄太選手のシュート力に繋がっているようです。
渡邊雄太選手の身長の変動は?
渡邊雄太選手は中学入学してから身長が急激に伸びています。
中学入学時では160cmとごく普通だった身長が、毎年約10cmずつ伸びて、高校入学時には190cmにもなりました。
高校1年生のときから長身のオールラウンドプレーヤーとして尽誠学園高校の主力となり、高2のときは197cmになって日本代表候補に選出されて注目を集めることになります。
さらに高3になると、尽誠学園高校のエースとなり、U18の日本代表ではキャプテンを務め、アジア選手権4位という成績を残しました。
現在は203cmということですから、高校3年間で13cm伸びています。
渡邊雄太選手の高校時代
高2の冬、渡邊雄太選手の尽誠学園高校は、ノーシードにもかかわらず2回戦でインターハイ準優勝の福岡第一を下す大波乱を巻き起こします。
その後も強豪校を次々と接戦で勝ち抜き、あれよあれよという間に決勝にまで進出して、最後は惜しくも延岡学園に負けはしたものの準優勝という素晴らしい結果を残しました。
さらに高3になった翌年も、冬に準優勝を達成し、
「本当に尽誠学園に入って良かったと、今、心から思っています」
と、渡邊雄太選手はコメントを残し、高校時代のバスケの幕を閉じました。
渡邊雄太選手は目標に向かって、着実に結果を残していますよね。
いつも前段階で準備をしっかりして試合に臨んでいるのでしょう。
高2でアメリカ留学を決断!
高2年生でウインターカップ準優勝を果たし、周りの環境も一変しました。その中で、いろいろな人の話を聞くうちに、”自分にもアメリカに行ける可能性があるのでは”と感じるようになったと・・・。
「チャンスは今しかない!」
「本気でアメリカに行こう!」
と、高3の夏前には今後の進路は決まっていたといいいます。
渡邊雄太 幼稚園から中学・高校時代そして・・・まとめ
渡邊雄太選手の幼稚園時代から高校時代まで、そして大学時代までまとめようとしたのですが、大学時代を次の記事にしてページを作りますのでよろしくです。
渡邊雄太選手が着々と結果を残して、次のステップに進んでいく様子がわかったと思います。誰かが何かをしてくれるわけではありません。
素晴らしい素質をもった選手でも自分の道を切り開いているというところがいいですね。
続いて、アメリカに学びに行った渡辺雄太選手をみていきましょう。