2018年11月20日のNHK総合「おはスポ」で渡邊雄太をニュースにしました。遅すぎるほどのニュースですね。NBAデビューを果たしてから下部リーグでの努力が実り3試合目で本領を発揮し、NBAの舞台へ。日本人としては、田臥勇太選手に続く14年ぶり、2人目の快挙となりました。そんな渡邊雄太選手の家族や出身校などさらにエピソードも交えてまとめてみました。
渡邊雄太のプロフィール
名前 渡邊雄太(わたなべ ゆうた)
生年月日 1994年10月13日
出身 香川県
身長 206cm
体重 93cm
メンフィス・グリズリーズ所属
渡邊雄太選手が生まれたときは、ごく普通の身長と体重だったそうです。
現在のように2メートルを超えるような選手になるとは・・・。
小学1年の時、三木スポーツ少年団(香川県の生涯学習課スポーツ振興)で本格的にバスケットボールを始めます。小さな町のスポーツ少年団といったところです。
渡邊雄太選手のバスケとの出会いは?
「とにかく人見知りで、泣き虫な子どもでした。父親にさえ、1歳を超えるまで近寄らないし、私がお風呂に入るために雄太のもとを離れるだけで、大泣きでした」
と、話すのは渡邊雄太選手の産みの親(久美さん)。
母親である久美さんと父親の話は次の次あたりに記事にしてますから読んでね。
渡邊雄太選手の両親は、渡邊雄太選手が幼稚園入園を機に香川県に引っ越します。
そこには三木スポーツ少年団という市が運営する少年団がありました。
その少年団に所属していた小学生のバスケチームから、かつて全日本選抜のキャプテンを務めた渡邊雄太選手の母親(久美さん)にコーチの依頼があり、このことがきっかけで、渡邊雄太選手はバスケをはじめることになりました。
母親の久美さんは幼い渡邊雄太選手を連れて、週3回ほど練習を指導していました。
そして、渡邊雄太選手が小学校に入るころには、『ボクもバスケがやりたい』と言ってきたといいます。
ここから、渡邊雄太選手のバスケ物語の始まりです(笑い)。
渡邊雄太選手の本格的なバスケとなるのは小4に進級する10歳ごろから。小学6年生ではエースを務め、チームの大黒柱で県大会優勝を果たします。
渡邊雄太選手のバスケへの熱は深まり、よき指導者との出会いで、隣町の中学校に進学。
よくあるスポーツ少年団、はじめたきっかけは些細なことが始まりです。
ご両親のバスケのDNAを受け継いだ渡邊雄太選手は、スポーツ少年団の枠を超えて活躍するようになっていきます。
渡邊雄太の出身高校そして大学は?
渡邊雄太選手は中学では、高松市立牟礼中学校2年生時に香川県選抜チームのメンバーとして選抜されます。
渡邊雄太選手は、近隣のスポーツ界では有名な選手。
バスケの強豪といわれる尽誠学園高等学校に進学することにします。
渡邊雄太選手は入学と同時の1年生のときから全国大会に出場し、高校時代は「バスケットボール選抜優勝大会」で2年連続で準優勝するなどして全国ベスト5に選ばれることに。
アメリカ留学を決意!
身長が2メートル近くまで伸び、高校時代で有名だった渡邊選手のもとには、日本各地の大学から“ラブコール”が集まりました。
当然、渡邊雄太選手に寄せるご両親の未来の予想図は、大学卒業後、実業団に入り、国内で活躍できる選手となるはず・・・。
ところが、両親の予想を遥かに超えた異次元の進路の言葉が渡邊雄太選手から発せられたのです。
『お母さん、アメリカの大学に行きたい!!』
と・・・・。
そのとき母親である久美さんは
「英語も全くできないのに・・・」
との思いがあり、二つ返事にはいかなかったといいます。
そして渡邊雄太選手のご両親は、“夢を追う息子”にひとつだけ条件を出したのだそうです。
それは、父親が・・・
「どんなに努力しても、向こうの選手たちにはかなわないかもしれない。挫折したらいつでも戻ってきていいよ、と。ただ、アメリカの大学は、バスケを頑張っているだけでは進級も卒業もさせてくれない。勉強で落第するようなことがあったら、帰ってくるなと話しました。勉強嫌いだった雄太の覚悟をそこで試しましたが、『オレは(勉強も)死ぬ気でやるよ』と即答してくれましたね」(父親:英幸さん)
こんな親子の真剣な会話が渡邊雄太選手をさらに大きく育てることになります。
実力が認められ、奨学金でアメリカの大学に入学した渡邊選手は、バスケと同じ熱意で勉強にも力を注いでいくことに。
渡邊雄太の家族はそして両親は?
渡邊雄太選手の父親は、英幸さんという1960年代の実業団チーム熊谷組ブルーインズのスター選手でした。
「バスケットボール日本リーグ」で幾度となく優勝している強豪チームです。
(残念ながら1994年に休部となっています。)
日本のプロバスケリーグは、マイナーリーグとされ活躍の場とスポンサーが付かなかったのが問題でしたね。
そして、母親の久美さんはシャンソンVマジックに所属し、1986年のシーズンには日本リーグMVPになっています。
1983年世界選手権の日本代表にもなっていて、キャプテンも努めていました。
(このとき日本の成績は12位でした。)
姉の夕貴さんはアイシン・エィ・ダブリュ ウィングスに所属していた元バスケットボール選手です。
2014年に現役引退しております。
ちなみに、
父・英幸さん ⇒ 身長190cm
母・久美さん ⇒ 身長177cm
姉・夕貴さん ⇒ 身長170cm
渡邊雄太の家族や出身校さらにエピソード!まとめ
渡邊雄太選手について記事を書いていて気づいたことは、人間性が素晴らしいことです。野球選手の大谷選手に似ているところが多々ありますね。アメリカに単身で学びを求めて行った若武者に心からの尊敬は止みません。これからもずっと応援します。