相撲協会は相変わらず諸問題で揉めている中、日馬富士は引退後、現在は何をしているのか気になって。さっきのニュースでは日馬富士暴力問題で被害者だった貴ノ岩が加害者に??そして日馬富士と同じ引退するという。今後のお相撲との関りをどうあるべきか考えてみました。
日馬富士引退後は「校長先生」になるの?
日馬富士は引退後、故郷のモンゴルに帰っていて、
故郷のモンゴルで現役時代から計画中だった
小中一貫の「日馬富士学校」が出来上がっていました。
モンゴル国民の日馬富士への感謝は計り知れないとほどで、
その人気は子どもたちだけではありません。
モンゴル国全体が日本を見習って教育に力を入れています。
遊牧民として生きてきた彼らには今までなかった学問・教育・本という文化。
故郷を愛する日馬富士は、将来のモンゴルを教育という側面から
手助けしようとしています。
そして、日馬富士の人気もあってか、日馬富士学校の
生徒募集には10倍の応募があったといいます。
「新モンゴル日馬富士学校」が位置するのは、モンゴルの首都・ウランバートル郊外。
チンギスハーン国際空港から市街地へ向かう道中に、真新しい校舎をみることが出来ます。
まだ今年9月に開校されたばかりですので一際目立つ校舎です。
日馬富士は引退後は校長先生になるかは現在はわかりません。
日馬富士は引退後は母国の教育事業に力を注いだ
日馬富士は、2006年に警察官だった父親を交通事故で亡くしました。
そのことが端緒になって、日本の自治体から譲り受けた救急車を母国に寄贈したり、
慈善活動にも熱心な横綱・日馬富士として知られていました。
それだけに、いまでも日馬富士の去り方が悔やまれてなりません。
引退後は、伊勢ヶ濱部屋のコーチに就任していて、相撲との関りをもち続けています。
不思議なことに人それぞれの価値観の違いとは言え、自ら責任を取り引退した
日馬富士は「親方にはなれない」という相撲協会の厳しい規則。
片や、自分の部屋を持ち、お弟子さんまでいて一代年寄の相撲部屋まで持っていて、
それをすべて放棄した親方もいる。
相撲ファンとして夢が叶うのであれば、私は前者の横綱・日馬富士の土俵入りを是非見に行きたい!!
そんな心境で記事を書いています。
話をさらにすすめましょう。
日馬富士の引退後のビッグプランとは?
今年秋場所後の9月30日に両国国技館で日馬富士の断髪式が行われました。
そのとき、日馬富士に近い相撲関係者の話に驚かされることに・・・
「日馬富士学校」だけでなく、もっとビッグプランが・・・。
日馬富士の引退後、ここまでモンゴルのために頑張るのなら、
いっそ政界に進出してモンゴルの大統領になってもらいたい!!
日馬富士が相撲界に入ったときは小さな身体で、
こつこつと努力して横綱という最高位まで登り詰めました。
モンゴルの大統領も夢ではありません!!
そして、さらに、日馬富士の学校から有望な卒業生を輩出していけば、
設立者の日馬富士の存在感は増す一方。
日馬富士が大統領になれば、日本との交流ももっと盛んになっていくでしょうし。
日馬富士引退後の相撲協会は?
日馬富士の引退後に相撲協会は何か変わったのでしょうか?
お相撲さんの悪ことばかり囃し立てる日本人は昔はいたのでしょうか?
「おすもうさん」という呼称からして特殊な人たちで、
神様に近い存在だったような気がします。
呼び方も独特で
「お相撲さん」
「お坊さん」
「おまわりさん」
「さん」という敬意の表れがあって、特別な人というのがありました。
小さな子供が、「お相撲さん」に抱っこされると、
元気に育つという習わしがいまでも残っていますよね。
私も小さい頃、抱っこされた写真が残っています。
あなたの家にも「お相撲さん」との写真残っていませんか?
また、街でお相撲さんを見かけると、
なぜだか「素敵!」
と胸がキュンとなりませんか?
そしてすれ違い様にお相撲さんの甘い残り香が・・・
なんとなく、別世界の人に遭遇したような。
そして、昔の役者さんに会ったかのような?
独特の慣習の中で生きている人。
昔から、お相撲は庶民の憩いにもなっていましたからね。
着物姿で、酒を飲み、弁当を食べながら相撲を見る。
庶民の娯楽。そこに出てくる登場人物がお相撲さん。
そこにあるのは、単なる勝ち負けの世界では終わらない。
お相撲さんの残り香のようなものが相撲の勝負にはあります。
ただ、何連勝もすればいい、ただ相手に勝てばいい、それだけのことなの?
スポーツだけの世界では表現できないものがありますよね。
それは、日本人の心に残る文化なのでしょうね。
日馬富士も引退後にこの何かに気づいているのでしょうね。
恣意ていえば、大相撲とは芝居の一幕なんでしょうね。
ですから、歌舞伎みたいな感覚でしょうね。
土俵に身を乗り出して応援する!!
だからと言って勝負がいい加減ではこまりますが。
大きな目でお相撲という文化を見た時に、ガチンコ相撲だから
面白いかと言われれば、それもまたちがっているような・・・。
ちょっと前に大相撲の八百長問題がクローズアップされたことがありました。
そのとき、解説者の舞の海さんがこんなことを話されていました。
お世話になった女将さんに
「うちの子、千秋楽で決まりなの!」
「お願い!!」
これは、千秋楽で幕下に落ちるか、勝ち越して残るかという瀬戸際なんだとか。
「対戦相手の私は既に勝ち越していて、
何度も対戦相手の女将さんに助けてもらった「恩義」がる・・・
そんな中、勝負だけの世界ではすまされない・・・
と、お相撲さんの世界は1つ勝か負けるかで変わってしまうんです。」
と。
日馬富士が引退後に残したかったこと?
日馬富士が引退後に故郷のモンゴルで行っている活動は、
相撲取りが持っている故郷への愛なんでしょう。
苦労して、苦労してやっと横綱になって、今度はこの苦労を感謝に変える力を
持っている横綱しかできないことを祖国、モンゴルに還元していること。
これが「お相撲さん」と呼ばれる所以なんでしょうね。
お相撲さんに握手してもらえる、
お相撲さんから幸せを分けて貰える、
お相撲さんに触ってもらうと痛みがなくなる。
こんなイメージが今の相撲協会になくなってしまったのでは?
日馬富士引退後の現在は何してる?まとめ
日馬富士の暴行から引退後の日馬富士を調べて、相撲協会は大きな
曲がり角にきているんだなとつくづく思います。
記事を書いている今日も何かと国技館周辺は騒いでいるようですね。