松坂大輔投手のように有名な選手になると子供時代のエピソードやら両親の子育て法などに注目を集めるようになってきます。松坂大輔投手もその域を逃れることはありません。「天才」と呼ばれる人たちに少しでも近づきたいと願うのは当然のこと。ではその松坂大輔投手の子供時代とは?


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松坂大輔投手の親は何を基本に?

よく一般社会で言われることがあります。
非行少年や暴走族に奔る子供は両親の愛情に欠けていると。


それは子ども時代にすべてがインプットされるらしい。
しかも専門家によれば3歳という年齢が基準といわれてます。


この年齢ごろから両親の愛情がどれだけ注がれたかで、子供時代の基本的な内面が形成されるといいます。
親の愛情、そして子供時代に受けた影響は大人になっても延々と心に残っていてそう簡単に変えることはできません。


松坂大輔投手のご両親は、江東区に居を構え、父親は運送会社の運転手。
松坂投手の母親も父親と同じ会社の事務員をして生計をたてていました。

松坂大輔投手は下町地域社会で育つ

松坂大輔投手は4310gもあったという新生児の平均をはるかに超えていました。

松坂大輔子供時代当時を振り返って母親は「ハイハイしている頃から動きはすばしっこく、興味のあるものを見つけては移動し、どの行動も母子手帳に書かれている成長の目安より早かった」と明かしています。


松坂大輔投手のいつもの遊び場は、近所の公園の砂場が遊び場でした。
そこでもよっとしたエピソードですが、少しでも目を離すと、すぐにお友達にちょっかい出して泣かしてしまうありさまだったらしい。
でも、相手をいじめたりするのではなく、新しいおもちゃや珍しいモノを見つけると、「貸して」と言って好奇心がつよかったようです。

5歳~小学3年まで剣道塾へ

松坂大輔投手は小学校の3年生までは、地域の剣道塾に通っていました。
もちろんご両親の教育方針だったのでしょうね。

松坂大輔子供時代誰しも、人に迷惑を掛けないように礼儀の厳しい武道教育をとかんがえますからね。
もちろん、松坂大輔投手のご両親も同じ考えだったようです。


礼儀面だけでなく、実際は野球をはじめるまでの体力、精神力つくりのためだったともいわれてます。


地元にある江東区の「福住剣友会」に所属していました。
ここは、地元で有名な厳しい道場塾でも知られています。
いまでも子供達は、泣きべそをかきながら練習をしています。


松坂大輔投手の頃と変わりなく、週に3日は夜間練習があり、日曜は試合や試験があります。
松坂大輔投手の忍耐力や精神力は、幼い頃に受けた、このスパルタ教育「福住剣友会」が精神力の柱になっているようですね。

松坂大輔投手の家では子育ては夫婦で

松坂大輔投手の家の子育ては下町社会ということもあり、子育てを夫婦でやっていたことです。


松坂大輔投手の父親は早番勤務を希望し、毎日午後3時半には家に帰ってました。
保育園には夫婦交代で迎えに行き、保育園からの帰宅後は父と子は暗くなるまで外で遊んでいるのが毎日でした。


松坂大輔投手が小学校3年生から野球を始めてからは野球の練習の時間が増えていくのですが、父親との遊びは、必ずしも野球ばかりではなかったといいます。


父親は子供の自主性を重んじて、野球に固執しないで、子供が遊びたいものに付き合うというやり方でした。


夕ご飯の時間になると家に戻り、絵本を読んだり紙芝居を読んだりしてコミュニケーショオを絶えず持ち続けていました。


夕食はいつも家族全員で(あなたの家族はこれできてますか)。
家族という核の基本中の基本ですけど。
このやり方は、松坂大輔投手が横浜高校に入学するまで続いてました。
このようにして、両親の愛情が積み重なり松坂大輔投手という人間を育てていくことに。


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父親が地域スポーツに参加

松坂大輔投手の父親は、地域のチームの指導者を務めるようになります。


どうしても子供たちの送り迎えとかいろいろな雑用をしていかないと、子供野球は成り立ちません。


松坂大輔投手の父親が野球をツールにして息子に教えたかったのは、野球の技術論より、「しつけ」や「人生訓」だったそうです。


「嘘はつくな」
「友達を大事にしろ」
「人前で泣くな」


という生きる上での姿勢を徹底的に指導したといいます。
今でもリトルリーグ、シニアリーグ、高校時代の野球仲間が松坂大輔投手の周りに集まってくれます。
友達に恵まれているというエピソードは、自動車免許がなかった時代に、「友人が毎日交代で自宅から練習場まで送り迎えをしてくれた」。


そして今回の怪我から復帰1勝では、祝福コメントの仲間が松坂大輔投手へ「喜び」を綴っています。

運動能力はいつわかる?

運動能力は足の裏からの刺激らしい。
人間の運動能力は3〜4歳までに、どんな動きをしたかによって決まってしまうと言われています。

松坂大輔子供時代中枢神経から末梢神経が密接に残っている足の裏の機能が運動神経を左右するといわれます。


大都会の子供と地方の山間で育ったこどもと比較して、どうしても運動神経となると広々とした空間で育つ子供がいいに決まっていますから。
大都市圏の子供からトップアスリートが生まれにくいのはこのためです。


松坂大輔投手の実家も典型的な都市型の住宅でした。
そこで、このマイナス要因を両親は出来るだけ省くようにします。


3歳から松坂大輔投手が通った保育園は「裸足教育」を推進している保育園でしたので、足の神経が発達する環境を確保することが出来たのです。


<裸足生活のメリット>
脳や内臓器官が活性化し健康増進に繋がる。
土踏まずが形成される

<裸足生活のデメリット>
ケガをしやすい
不衛生

松坂大輔投手のDNA

松坂大輔投手の父方の祖父が聞くところによると、戦争時代に手榴弾投げの記録をもっていたといいます。


このことで分かるのは、地肩の強い家系に生まれたということです。
ピッチャーとして大成できる要因が祖父からのDNAだったということも言えます。

松坂大輔の子供時代の・・・まとめ

よく言われることばに「子供の幸せが親の幸せ」。


松坂大輔投手の両親は、松坂投手がプロ野球選手になったのが、自分たちの人生の至福と言い切ります。


息子の夢が達成された喜びが自分たちの幸せ。
松坂大輔投手の実家のリビングには、松坂家族の写真が所狭しと飾られ、幼児のころから現在まで100枚ほどが陳列されています。
ご両親の誇りなんでしょうね。
これからも松坂大輔投手は今まで以上に活躍して、球界のレジェンドとして自分に厳しく他人にやさしくといった笑顔を残していくことでしょう。




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