代61代横綱・北勝海、そして第13代日本相撲協会理事長の八角親方。最近のとくに相撲協会への風当たりが一段と強くなった感のある世間の風潮。この相撲協会を纏め上げている八角親方。そこで今日は八角親方の現役時代や故郷で育った家族や現在の家族などを紹介していきましょう。
海外公演では「ブルドッグ」と呼ばれた!
八角理事長(北勝海)の現役時代は、誰にも回しを取らせない、
突き押し相撲で横綱の座を射止めたパワー全開の現役相撲でした。
いまでも当時のエピソードとして残るのは、ロンドン海外公演では
「ブルドッグ」と呼ばれ、イギリス人の相撲愛好家には人気がすごかったらしい。
現役引退後にはいままでに関取9人を輩出している名門の相撲部屋に仕立て上げてます。
北勝海(ほくとうみ)として活躍していた現役時代の姿を記憶しているファンの多くは、
真っすぐな取り口で沸かせた管内の拍手の音は今の耳に残っているでしょうね。
現在、相撲協会で八角理事長の指導能力不足などと口を揃えていますが、
八角理事長の相撲道には利己主義的な考えは存在しません。
なぜなら、千代の富士という大きな壁の中で常に周囲との
和を重んじる付き合いを学んでいたからです。
NHK大相撲解説者の北の富士さんが言う。
千秋楽が終わると、「八角部屋で一門の打ち上げが最高に楽しい」と。
八角理事長の周りにはたくさんの人が集まってくるといいます。
千代の富士と切磋琢磨で横綱に!
「昭和の大横綱」として無敵を誇った千代の富士。
その横に必ず北勝海が控えていた。
千代の富士が休場すれば、必ず北勝海。
千代の富士と北勝海のどちらかが優勝旗を自分たちの部屋
(九重部屋)に持ち帰っていた時代でしたよね。
毎回のように優勝杯を手にするわけですから、
優勝の賞品は、部屋の食事を一段と贅沢にすることができたといいます。
JAのお米は1年分、JAの「しいたけ」は半年分とか・・・
八角理事長の現役時代の成績は?
本名 保志信芳(ほしのぶよし)
生年月日 1963年6月22日生まれ
出身 北海道広尾郡広尾町
身長 181cm
体重 150kg
北勝海こと八角理事長の現役時代の最高位は東横綱。
成績は591勝286敗109休で、優勝回数8回を誇ります。
中学校卒業後、九重部屋に入門
1979年3月場所に初土俵
兄弟子・千代の富士との熱心な稽古が実を結び
1983年に十両昇進
同年9月に20歳で新入幕
1985年からは三役へ定着する
1986年3月には幕内初優勝を決め、同年9月に大関に昇進。
これまで本名の「保志」から、故郷にちなんだ「北勝海」に改めました。
『北勝海(ほくとうみ)』
いい四股名でしたね。
当時の大相撲ファンは何度もこの四股名には頷いたと言われます。
それくらい八角理事長にぴったりの四股名だったのです。
1987年に横綱に昇進すると、千代の富士とともに、
九重部屋の両横綱として角界の頂点を極めます。
得意技は押し、左四つ、寄りなどの基本
そして、頭からの当たりの強さを身上とした八角理事長の相撲。
頭からのガチンコ相撲でそう身体は持たない・・・。
度重なるケガに苦しむことに・・・
そしてついに、
1992年の5月場所中に、28歳10カ月での現役引退を表明。
横綱在位数は29場所。
引退会見では、
「稽古する気力がなくなったら、もう終わりかな」
と語った八角理事長の姿が印象的だったといわれます。
現役を引退する横綱の最後のコメントは
横綱の責任の重さを説明するかのような。
横綱にならなければ残せないコメントですからね。
八角親方は当初のおかみさんとは離婚?
八角親方は、横綱・北勝海時代の1990年年2月18日に
最初の女将さんと結婚しています。
女将さんの名前は輝志子夫人。
輝志子夫人と八角親方の馴れ初めは、部屋に出入りする
お相撲ファンの方ということでした。
奈良県出身で、職業は家事手伝い、自然と横綱と恋仲に・・・。
2人の結婚式は、当時、高さ5mものウェディングケーキで彩られ、
媒酌人はハンナンの浅田満氏が務めています。
当時の横綱の挙式ですから、それ相応の有名人が祝福に集いました。
1993年には八角部屋を立ち上げることとなり、輝志子夫人は
女将さんとして部屋を支えていきます。
ところが、2003年8月に八角親方は輝志子夫人と
突然離婚したことを明らかにします。
離婚の原因は、大きな声では言えないのですが、弟子の一人が
輝志子夫人と恋仲になってしまい、駆け落ちをしてしまったと言われています。
現在のおかみさんは?
八角親方はその後、2005年に再婚しています。
弟分の千代大海(九重親方)の紹介で、14歳も年下の女性と仲良く部屋を守っています。
八角親方の子供は何人?
八角親方には、3人の子供がいます。
最初の女将さんとの間に生まれた息子さん。
青山学院の付属校に通っていた子供さんです。
現在の女将さんとの間には、2人の子供を授かっています。
実家の北海道・父親の職業は?
八角親方は、北海道の十勝地方に位置する北海道広尾町の出身。
四股名である『北勝海(ほくとうみ)』は、この出身地から生まれたといいます。
父親は昆布漁師で、町、一番の働き者で、多く昆布を取る自慢の父親でした。
八角親方は、小さいころから父親の仕事を手伝っており、辛抱強い父親を見て、
“自分も親父みたいな男になる!”
と決め、辛い稽古にも父親の姿と寒い漁場での昆布とりの様子を
思い浮かべて毎日のように頭からぶつかる稽古で身体を強くしていきました。
父親の影響が大きかったのでしょう。
八角親方の母親の名前は?
八角親方の母親の名前は、保志美江子さん。
いつも父親の昆布とりのあとは、昆布を砂浜に拡げて、
夕方には加工場に運ぶ辛い作業をしていた母親、恵美子さん。
八角親方に兄弟はいるの?
八角親方にはお兄さんがいます。
北海道の地元でサンマ漁をやっています。
中学生の時から相撲部屋に入り、一人家族と離れ
東京の相撲部屋で暮らす八角親方。
朝起きて、稽古、掃除、稽古、料理、洗濯・・・
これでもか・・・
これでもか・・・
と、毎日の生活は苦しく、
早く強くなって、這い上がってやる!!!
生き抜きをする暇がなく、夜も眠れない日々を過ごします。
そんな心が折れそうな時、お兄さんから手紙が来て、
“1ヶ月頑張ったんだから、半年頑張れる。半年頑張ったら、1年頑張れる”
と書いてあった手紙が八角親方の唯一の救いの拠り所でした。
八角親方の現役時代や北海道の家族・・・まとめ
大相撲という大きな組織を束ねる八角親方。
多くの苦労の積み重さなり、人との調和があって、
支えてくれる家族がいて、多くのファンがいて、
この八角親方の周りに多くの人の輪が自然と
拡がっていくようで、八角親方のご活躍を期待しています。
八角親方の現役時代から現在の家族まで、おもいつくまま記事に
いたしましたがいかがでしたでしょうか。
もう少し、現役時代の記事を整理したほうが良かったですね。
また、資料など集めてから記事にしますのでよろしくお願いします。